2月27日(日)、第24回、紀伊半島みる観る探検隊「尾鷲の産業遺産・2つの坂下隧道」を開催しました。県内外からの参加者17名が明治時代に造られた隧道を探索しました。
明治時代、奈良県上北山で伐採した天然林を尾鷲港へ運搬する道路の建設計画が尾鷲の林業家たちによって立てられました。尾鷲の又口から坂場に至るまでの坂下峠にトンネルを抜くことになり、明治33年3月、旧・坂下(さかげ)隧道が開通しました。
しかし、尾鷲側トンネル出口周辺の地盤が弱く道路が崩れやすかったため、新たな道路を建設することになり、明治44年8月、現在の坂下隧道(R425沿い)が開通しました。旧・坂下隧道はわずか11年で役目を終えたことになります。
道路の維持費がかかるため、どちらの隧道も大八車や牛馬車の通行料を取りました。全国でも珍しい有料トンネルのはしりです。旧トンネルに向かう坂下道路は一部が崩壊していましたが、昨年、地元有志による整備が行われて通行が可能になったことから、今回のツアーを開催しました。
午前9時に県尾鷲庁舎をスタート。坂下道路の整備を行った福田晃久さんと鈴木邦彦さんの案内で、崖沿いを整備するために命綱やつるはしを使った様子を聞きながら現地を歩きました。
総赤レンガ造りの旧・坂下隧道に着くと参加者から感嘆の声が上がりました。レンガの崩れもほとんど無く当時の様子を留めています。
当時の建設費用、壁にランプを取りつけていた穴や、銘板の「鬼斧神鑿(きふしんさく)」の文字が当時の三重県官選知事の筆によるもので「鬼が斧を振るい、神が切り開いた」と難工事の中での技術の結晶だったことをうかがわせるなどの説明を受けて、参加者たちは熱心に聞き入っていました。
その後、太平洋戦争中に尾鷲湾で撃沈され多数の犠牲者を出した海防艦「駒橋」の慰霊碑で説明を受け、現在の坂下隧道へ。
このトンネルは東西両方から堀進めたため天井が大きく食い違っていること、町で買った通行券を東口の茶屋に納めたこと、戦時中は防空壕として使われてなどの説明を受けました。
ツアーは遠方からの関心が高く半数以上が東紀州地域以外からの参加者でした。
滋賀県から参加した産業遺産ファンは「これまでは隧道を見るだけでした。今回、解説してもらえる企画があると知って嬉しくて参加しました。」と話していました。
坂下道路を整備した福田晃久さんと鈴木邦彦さんの熱意に打たれて今回のツアーを企画しました。
※福田晃久さんのブログ
坂下隧道は産業遺産の観光資源としてはもちろん、何より尾鷲の産業発展の一端を担った地元の宝だと思います。どちらの隧道も文化財級の価値があります。
近世の身近なものにも意外な価値があると気付き、保全活用されてゆくきっかけになればと思います。
※参加者の葵様から坂下隧道ツアーをGoogleマップに投稿いただきました。