ガイド:竹村 裕二(ユウジ)
その昔、お伊勢詣りを終え、さらなる聖地をめざして伊勢路を下ってきた旅人は、ツヅラト峠(あるいは荷坂峠)の頂に立ち、初めて「くまの」の海を目にしました。
遠くに茫洋と広がる海を見下ろしては、それまでの旅の疲れを癒し、また行手を阻むかのごとく峰から峰へと連なる山並みに目を移しては、その先の旅の苦難を案じたかもしれません。
そこから始まる東紀州の熊野古道は、そのほとんどが海辺に開けた集落と集落を結ぶ峠道です。目的の地までは、その峠道を一つまた一つとただ越えていくしかありませんでした。
峠道であるお客さんが言いました。
「はぁ~熊野古道って山登りだったんですね。知らんかった~あ~しんど~~」 峠は山を上って下ると字に書くぐらいですから、山登りと言えなくもありません。
古道歩きに慣れた人でも一気に峠を目指せば、ハァーハァーと息が切れてきます。
ひょっとして熊野古道は、熊野三山の神仏や観音様への信心の深さを測るために、こんな難行苦行の道としてこしらえられたのでしょうか?
いえいえ、そうではありません。熊野古道は信仰の道、巡礼道ーそれに間違いはありませんが、それにもまして、その多くが、隣の集落へつながる唯一の生活の道としてまずありました。
海と山が迫った急峻な地形に負けない、より安全で、より早く(?)、より楽に(!?)通行できるよう、先人の知恵と苦労が精一杯に詰まった道であったがこそ、いまなお道としてあり続けられるのかもしれません。
熊野古道が熊野三山、観音巡りの巡礼道としての性格だけでなく、地域の人々の欠かせない道としてどんな役割や歴史があったのか、そのことも併せて伝えていけたらと思います。
そして、熊野古道を一つの「線」とするなら、その周辺のまだまだ知られていない魅力的なフィールドは「面」といえるでしょうか。
線から面のガイドを。これが今後の私のテーマの一つです。