Posted on 2010/02/09 :
Posted by: ucchi

九木崎には大敷網を見張る1号ブリ魚見小屋と2号ブリ魚見小屋があったが、電話や無線の普及で無人になった。
現在、1号ブリ魚見小屋への道は整備されておらず、崖崩れ、倒木や藪で道がほとんど無くなっているため通行不可。藪漕ぎが好きな人でも大変な場所だ。

画像は魚見小屋とは別ルート(道と言っていいものか・・・)で撮ったもの。


九木崎原生林
巨岩の上や割れ目に根を張って、たくましく生きている

九木崎原生林
こんなに絡まれては、私だったらとても嫌だ

九木崎原生林
痛々しい姿だがこれも自然

九木崎原生林
人の手で伐られて萌芽更新した木。近くに炭焼き窯跡を見つけた

九木崎原生林
ヒメシャラの巨木はとても目立っている


九木崎原生林
太い蔓&野生人:ドングリおじさん

九木崎を縦断する道も崖崩れと倒木で危険を伴います。九木崎探索に長けた人物と共に歩くか、くまの体験企画エコツアーをご利用ください。
※九木崎原生林ルートのお問合せにはお答えできません。ご了承ください。

くまの体験企画
第21回 紀伊半島みる観る探検隊 九木崎原生林と九鬼町の歴史を探る

【 e-shops ローカル 】 尾鷲市・観光協会・観光案内



Posted on 2010/02/08 :
Posted by: ucchi

九鬼町の猪垣を見ながら行野道を歩く。周辺は植林で、大きな岩がゴロゴロしている。

尾鷲市九鬼町の行野道

周囲の岩(固い花崗岩)を割って造られたであろう石畳が続いている。熊野古道もそうだが、石畳が敷かれた古道は、土道に比べて強く、植物の繁茂を防ぎ、どこが道なのか一目でわかる。現代に例えると舗装道路と同じだ。
石を敷くのは大変な土木工事だが、一度造ってしまえば長持ちする丈夫な道なのだ。

行野道の道標

しばらく歩くと石の道標があった。古い書体で「右 やまみち 左 ゆくのみち」と掘られて、目立つよう朱色に塗られている。
尾鷲の郷土資料「ふるさとの石造物 編者:伊藤良」によると、この道は紀州藩や尾鷲組から出された各種の通達が、九木浦(現:九鬼町)から行野浦へ出された道でもあった。当然ながら、江戸時代は電話や無線があるわけではなく、人が隣町に伝えなければならない。この道を足腰の強い地元の若者が通達を持ち、夜中でも走って通ったのだ。初めての若者が道を間違えないように設置されたのがこの道標らしい。

確かにここは分かれ道で、新しい「右 頂山へ」の看板も設置されている。左の道は荒れ放題・・・。どうやら、頂山への登山者用に、ここまでの行野道は定期的な見回り整備がされているようだ。
我々は、左の行野道を行く!

行野道の石畳

倒木を片づけながら石畳を進む。沢沿いはガレキでどこが道なのかわかりにくいが、長年のカンで進む一行。

行野道を刈開き

藪も持参したカマやノコギリで刈り開きをしながら行野道を進む。
分かれ道から40分ほどで林道に出た。刈り開きが無ければ15分ほどで林道に出ると思われる。

九木崎の林道

ここから、どこが行野道なのかわからなくなった。林道に吸収されたのか・・・もちろん全部ではないだろうが、今回はここで行野道探索を終了し、九木崎原生林を縦断して帰ることにした。 ※注:簡単に縦断できません

つづく




Posted on 2010/02/07 :
Posted by: ucchi

九木崎を横断する行野道を探索するため、入口にあたる三重県尾鷲市九鬼町の真厳寺に行く。
真厳寺は文化財の宝庫だが、まっ先に目を引くのがクスノキの巨木。

九鬼町真厳寺クスノキ

九鬼町真厳寺のクスノキ全景

斜面ギリギリで張り出すように生えており、幹にからみつく藤の太い蔓や、着生植物などが小さなジャングルを形成している。この木一本でどれだけの植物を養っているのだろう。
巨木100選などには載っていない木だが、そんなことは無関係に存在感ある巨樹だ。

真厳寺横の墓地を抜けると、すぐに民家は無くなり荒れた古道に入った。しかし、歩けないことはない。
倒木や茂みは気にならない。足下の石畳が一部崩れたりグラグラしている程度である。「良い道〜楽勝〜!」などと言いながら足早に歩いて行くと、石垣が見えてきた。

九鬼町の猪垣

江戸時代、猪や鹿から畑を守るため、集落をぐるりと石垣で囲った「猪垣」である。ほとんど崩れていない。
うっちーは仕事柄、熊野古道周辺に点在する猪垣をあちこち見ているが、この猪垣は他よりも石が大きく整然と積まれている印象だ。
同行した野田氏によると、有志で猪垣調査を行っているそうで、「九鬼町は九鬼水軍発祥の地で、水軍の基地でもあったから、元々は城壁として造られていたものを猪垣に改修したのではないか?とも思えるが、調査結果が出ないと何とも言えない。」と話す。う〜ん、なるほど。
九鬼水軍発祥の地・九鬼町・・・歴史ロマンは尽きない。

つづく




Posted on 2010/02/06 :
Posted by: ucchi

三重県尾鷲市九鬼町の九木崎に通い出してから4年が過ぎた。
九木崎には吉野熊野国立公園の特別保護地区・九木崎樹叢(通称:九木崎原生林)がある。
全く人を寄せ付けないイメージだが、九鬼町の人たちが暮らしてきた生活の森だった。ブリ大敷網(定置網)を見張る魚見小屋が2か所、廃村の古田、山の神、炭焼き窯の跡があり、突端には紀州藩の施設だった遠見番所跡(鎖国時代に外国船を見張る)、常灯場跡(灯台)、狼煙場跡があり、人と森との関わりを知ることができる。

九木崎2号ブリ魚見小屋にて
九木崎2号ブリ魚見小屋にて

九木崎遠見番所跡を探索
九木崎遠見番所跡を探索する海山郷土史研究会メンバー

しかし、現在は全て廃墟・廃道で、道が無くなっている場所が多く、土地勘のある人と一緒に行かなければ危険。崖っぷちを歩き倒木を越えヤブ漕ぎの末、遭難に至る可能性もある。山ダニやマムシも多い。
うっちーは九木崎を一周するのに8時間以上かかるし、以前に、友人で野生人の「ドングリおじさん」から夜8時に電話でSOSが・・・「やっと林道に出たよ〜迎えに来てくれ〜!」なんてこともあった。(^^;)

その九木崎を横切るように元行野〜九鬼の古道があり、現在どうなっているのか探索した。
元行野とは、現在の尾鷲市行野浦の先祖が住んでいた集落跡である。現在の行野浦よりも九鬼町側の海沿いにあり、JR紀勢本線に乗ると、大曽根浦駅〜九鬼駅の区間でトンネルの切れ間に海が見えるあたりである。熊野灘の荒磯に面した集落だったので、静かな入り江に移住した。
今回探索するのは、元行野が廃村になる前、九鬼と行野の人々が行き来した生活古道だ。

現在の尾鷲市行野浦
現在の三重県尾鷲市行野浦は静かな入り江にある

メンバーは、第21回 紀伊半島みる観る探検隊 九木崎原生林と九鬼町の歴史を探る でガイドを務める野田敦美氏、ドングリおじさん、知人H氏、うっちーの4人。
いざ、出発!

つづく




Posted on 2010/02/04 :
Category: 3廃村・廃道
Posted by: ucchi

三重県尾鷲市に、文化財級の隧道がある。
明治33年開通、手掘りのレンガ造り、民間事業の有料トンネル(三重県どころか紀伊半島で初めての有料トンネル?
)、しかも崩壊することなく残っている。

坂下隧道

友人のオブローダー「やのこ小僧」の案内で旧・坂下隧道に行ってきた。
(やのこ小僧は当ブログの廃村・廃道カテに不定期出没)

この隧道は、尾鷲の奥山から天然木を切り出す輸送道路として、民間林業家有志によって計画された。
入口に茶屋があり、そこで通行料を徴収した。人の通行は無料だが車は有料。もちろん自動車などではない。牛車、馬車、大八車の時代である。

哀愁の坂下隧道

その後、新・坂下隧道が明治44年に開通。(新とはいえ明治!) 
現在、新・坂下隧道は車で通行できるが、旧・坂下隧道は至る旧道の崩壊がひどく車両の通行はできない。
崩れた旧道の中に、美しく残っている旧・坂下隧道。今のうちに産業遺産として、県指定の文化財にしてほしいものだ。




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